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ブログ・お知らせ

日本の常識、他国の常識

2020年1月20日

福祉業界に関する他国(外国)の実情がどうなのか気になります。
昨年末にご縁あって韓国の介護用品会社と商談する機会があり、その際に自分なりに事情を調べてみました。
同じく、日本企業が進出しはじめている中国についても調べてみました。
両国とも日本と同じアジア、文化や風習が近しいことから参考になるかなぁと思ったのですが…結局は良く分かりませんでした。
少子高齢化において先頭を走る日本で福祉事業に触れているからなのか、隣国での事例が参考になるような、ならないような。
そもそも社会保障制度の在り方や法律など環境面が違いますしね。

そんな想いは、福祉先進国と言われる北欧各国に対しても同じでした。
モデルケースとして多くのメディアが採り上げるので、日ごろから目にする機会も多くあります。
その多くは北欧の福祉モデルを称賛するような内容であり、実際のご老人や介護士の声とともに紹介されているものです。
もちろん刺激を受ける内容も多々ありますが、その国に住んだり専門的に調べたことがなく、マスコミの断片的な情報だけを信じて良い/悪いの比較はできない・・・というのが本音です。
それでも先日ネットで目にした記事には考えるところがありました。
だいぶ前、2005年の週刊現代の記事であり、そのタイトルは『スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか』。
記事の内容は割愛します、恐らくは同様の記事を読まれたことがあるかと思いますので。
本人の意思や尊厳が守られており、自己責任のもとで生き方を選択できるのだという概略です。

目に留まったのは文中にあった介護士の発言です。
「スウェーデンでも’80年代までは無理な延命治療が行われていましたが、徐々に死に方に対する国民の意識が変わってきたのです。長期間の延命治療は本人、家族、社会にとってムダな負担を強いるだけだと気付いたのです。」

日頃から我々は、行政(国や市町村)・お客様・ご家族・スタッフ・取引先など様々な繋がりの中で仕事をしています。
介護に携わる人は、いま目の前にある実態と、それに対する各関与者の本音にずっと向き合っています。
やるべきことと出来ることの違いに悩み、当事者の声と関与者の声の違いに苦しんでいます。
そして最終的に選択するのは「業界のルール」であり、または「ルールに沿って許可される良心」です。

もちろん国や自治体は介護保険制度の最適なデザイン・設計について懸命に考えています。
北欧だけでなく世界各国の福祉行政や業界の事例は何度も何度も研究され、日本での活用も検討されてきたのだと思います。
その結果が今なのです。
介護保険という税金・公金をいただく商売であり、その前提が変わらない限りは厳しいルールに縛られることもやむを得ないと考えています。

それでも思わずにはいられません。
国や法律は、いったい誰の何を守ろうとしているのだろう。
お世話になっている顧問弁護士から業界事例について話を聞く機会が多くありますが、「現場のヒヤリハットとして意識徹底しなければ」と考えさせられるケースの数々は、勉強になる一方で憂鬱にもなります。
起きてしまった事故や事件において、司法は誰の何を守ろうとしたんだろう。
これは介護事故に限りませんね、日ごろ目にするニュースに憂鬱にさせられることも多々。
もし国民の意識こそが鍵となるならば、成功したと言われるスウェーデンでは国内でどのようなムーブメントがあったのか知りたいです。
そして日本において、自分・自社には何ができるのか。

なんだか飲み屋での愚痴のようになってしまいました。
年末年始から今後の事業展開についてずっと考えています。
収益はもちろんですが、スタッフとともに進むべき道が心地よいのかどうかを。
今年は新しいチャレンジが増えそうです。

国や行政に反抗的な文章のようですが、決してそれが主旨ではありません、悪しからず。
でも、この国の福祉の在り方が大きく変わりつつある、それは感じています。
日本は世界で最も成功した社会主義国家だという人がいます。
なるほど、です。
そんな日本でも、思い切った改革・変革が起きるかも知れませんね。

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