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ブログ・お知らせ

リテラシーの話

2021年2月17日

リテラシーという言葉、よく耳にします。
というか、考えたら自分でもよく使っています。
辞書によれば、もとは「教養がある」「読み書きができる」という意味から転じて「情報や知識の活用能力」を指す言葉とされています。
「情報リテラシー」とか「ネットリテラシー」など代表的ですかね。
個人的な見解ですが、良い意味で使われるよりも、どちらかと言えば悪い意味で使われることのほうが多いような気がします。
「このシステムを導入したいけど、リテラシーの問題がねぇ・・・」といった感じです。

当社が介護業界に参入してから約11年、もともと縁遠いと思っていた介護も、年齢を重ねるごとに自分事として感じるようになりました。
そして、周囲から個別の相談を受けることも増えました。
元気だった祖父母が、両親が、当たり前ですが年をとります。
介護のミライは自分のミライ、誰もいつかは経験します。
それが自分事となった時、思い悩むのです。

この週末に、東北で大きな地震がありました。
新型コロナウイルスの蔓延も収まらないなか、現場の苦労は計り知れません。
自然の力はどうすることもできませんが、だからこそ訴える先のない不安はどれほどのものでしょう。
東北に住む友人や知り合いに連絡しましたが、皆さん現実は受け止めつつも前向きであり、本当に頭が下がります。

話が二転三転しましたが、上記以外も含め、誰もが何らかの悩みや課題を抱えて生きている、それが言いたかったのです。
種類や程度が問題なのではありません、その当事者にとって問題だと感じること自体が問題なのです。
誰かに相談できたりサポートが受けられれば良いのですが、それができなければ自分で何とかするしかありません。
「大丈夫だよ」と気軽に言えることばかりではありません、立場を代わってあげることはできないのだから。

リテラシーの話に戻りますが、私は、リテラシーは経験こそが作り出すのだと信じています。
どれだけ勉強しても、どれだけ想像しても、経験には敵いません。
苦しいことや悩ましいことがあっても、声をあげればきっと誰かサポートしてくれる人が現れます。
そして、その経験はリテラシーとなって、次の誰かを助ける力となります。
リテラシーとは他者に誇るものではなく、他の誰かを助けるために自分自身に身につくものだと思っています。

楽しいことばかりではありませんね。
無責任に「がんばれ」とか「大丈夫」とは言えません。
でも乗り越えた先、得たリテラシーは誰かを支えて助ける大きな力となります。

決して暗い話をしたいのではありませんし、何かあったわけでもありません。
メディアを通じて目や耳にすること、また日ごろの付き合いを通じて感じることを書いてみました。
がんばれ!がんばろう!

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