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ブログ・お知らせ

断捨離

2017年8月30日

出張の移動中に、一冊の本を読みました。
書店でたまたま見つけ、中身も確認しないまま即購入。
本のタイトルは「もう親を捨てるしかない」、その帯に書かれていた言葉が「親を断捨離」。
あまりにも刺激的な本のタイトル、それでも何か惹かれるものがありました。
介護事業を始めて7年、仕事を通じて様々なことを感じてきましたが、どこまで行っても「介護のミライは自分のミライ」という言葉から離れられず、簡単に介護問題や福祉問題と割り切ることができません。
以前のblogにも書きましたが、「人が簡単には死ねなくなった」今の時代、介護は我々が思っている以上に大きな問題だと感じています。
そんな中で出会った紹介の本、その本質を突いた内容にショックを受けながら一気に読み終えました。
本の冒頭から過去に実際に起こった介護殺人について触れ、その詳細や背景について淡々と紹介されています。
殺人を犯した人を否定することも肯定することもなく、ただ増加し続ける悲しい事件の背景に横たわる社会問題、そこに鋭く切り込んでいます。
元気で誰にも迷惑をかけずに暮らし続けること(長生きすること)こそ高齢化への対策と叫ばれ、医療や予防介護も発達してきましたが、もしかしたら単に問題を先延ばししているだけではないか。
だって人間はいつか必ず弱り、そして寿命を迎えるのだから。
自分で歩けなくなり、食べられなくなり、それでも人生は続く。
そこに医療や介護が求められ、仕事として成り立っている。
親を想う気持ちと、一方で経済的にも精神的にも追いつめられる現実。
著者は、介護に苦しむ人達に向けて「親捨て」の選択肢を示しています。
これ以上のコメントは控えさせてもらいますが、関心を持たれた方には是非とも読んで頂きたい本です。

うーん、考えさせられます。
でも関わる仕事の重さ、そして目指す方向性について考えを改める機会をもらいました。
国は、在宅介護・医療を推進しようとしています。
曰く「住まい、医療、介護、予防、生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの実現」とのこと。
そしてその推進は、市町村など自治体に委ねられます。
来年の報酬改定でも、その方針はより明確に示されるのでしょう。
最期まで住み慣れた自宅で過ごすこと。
その意義と真実それぞれに目を向けて、在るべき介護サービスについても考えていかなければなりません。

繰り返しますが、「介護のミライは自分のミライ」です。
我々は、もっともっと考えるべきですね、ミライのことを。

この本を読んで思った、もう一つのこと。
親の世話をしないという選択をした人を無条件に肯定するような解釈はしてはいけない。
著者は、そんなことを言っているのではない。

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