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ブログ・お知らせ

益虫と害虫のハナシ

2020年11月20日

個人的な話ですが、出身は島根県(出雲大社がある大社町です)で、実家はブドウ農家でした。
小さい頃から畑やビニールハウスが遊び場。
ブドウだけでなくお米や野菜も作っていたので、肉・魚以外で食卓に並ぶものの多くは自家栽培。
当時は当たり前だと思っていましたが、今となっては何とも贅沢な話です。
それに、今さらながら農家(農業)の大変さを思い、不自由を感じることなく今に至ったことは両親はもちろん祖父母にも感謝するばかりです。
自分が気にしていなかっただけかも知れませんが、仕事や生活への不平不満なんて実家で聞いた記憶がありません。
きっと大変だったんだろうに。
親は強し、自分も見習わなければいけません。

そんなわけで農業には今でも関心があり、密かに仕事でも関われたらと考えています。
後継者不足や自然災害など多くの課題を抱え、そしてICT化の流れを受けて、農業は大きく変わりつつあります。
でも農業は昔からずっと、あらゆる産業の中でも「進化を受け入れる」という点で最先端を走っていたように思います。
農薬を受け入れ、トラクターやコンバインなど機械化へも対応し、何より兼業農家なんて今でいうダブルワークの走り?ではないでしょうか。
この手の話となると言いたいことが尽きないので、また改めてとします。

タイトルにある「益虫と害虫」について。
農業において虫ちゃんとの闘い?共存は大きな課題です。
もう何年も前になりますが、ベストセラーになった某書籍(伝説の農業人が書かれた本です)に面白い記述があったことを今でも強く覚えています。
名前だけ見ると「益虫=善」「害虫=悪」のように感じてしまいますが、本当にそうなのだろうかと問いかける内容でした。
なぜ害虫と呼ばれるのか、それは人間にとって大切な野菜や花を食い荒らしたり枯らしたりするから。
ではなぜ益虫と呼ばれるのか、それは害虫を退治してくれるから。
その通りなのですが、これはあくまで視点が「人間中心」での話。
虫だって生きていくために食事は必要であり、決して人間に嫌がらせをする気持ちなんてないはず。
視点を自然界全体に置けば、見方は変わります。
人間はとにかく害虫を駆除するために農薬も駆使して手を尽くし、そして益虫を称えます。
虫食い跡があると商品価値が下がるとされ、とにかく虫が付かないよう品種改良技術も進化しています。
それ自体に良い悪いの判断を下すことは難しいですね。

その本には、まとめとしてこんな記述がありました。(文章はまったく正確ではありません!)
「害虫をレンズでよく見ると、とても穏やかで優しい顔をしているんだよ。だって草食だもの。」
「一方で益虫と呼ばれる虫は、獰猛で恐ろしい顔をしている。だって害虫を食べる肉食だもんね。」

 

我々は普段の仕事や生活の中で色んなご縁があり、多くの方と接して影響を受けています。
メディアが発信する情報を鵜呑みにして、勉強になったり、また時に判断を間違うこともあります。
また最近ではSNS上で匿名の書き込みに社会全体が踊らされることも増えてきました。
相反する2つの意見がある場合、どちらが善で(正しくて)どちらが悪か(間違っているか)判断に迷うことがあると、スピーチや文章が上手かったり、第三者など他人の論評などに左右されて「この人(意見)は善」「こっちは悪」と思いこむことも多々あります。
その人がどんな顔をしているのか、しっかりのぞき込んだり確認をしないままに。
難しいですね。

人は思い込みやイメージによらない、という話でした。

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